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2007年 09月 12日
人は、自分の映し鏡だとよく言われますが、
同時に、自分もまた誰かの鏡になっているのですよね^^ 誰でも多かれ少なかれ、相手によって話し方が変わったりするものかもしれませんが、 私の場合、この体質と未熟さがあい重なりあって、それが顕著だったのですよね。 八方美人ならまだよくて「なんでこんなこと言っちゃうんだろう?」ということばかり^^; 心が空っぽになり出して、相手のエネルギーを感じ取り、 そのエネルギーと同じものを出してるのだと気づきだしたのですね。 相手の心の奥底に出し切れてない「怒り」があれば、何だかイライラした口調になったり、 相手が自己否定が強いと、こちらの口調が責め口調になったり。 もちろん、自分の中に昇華しきれてない思いがあったからであるのも確かなのですけどね。 なので「無心からの言動であるように、また相手が必要とする言動であるように」 そんなことを毎朝祈っていました。今も、心にとどめていることですが…。 なんせ、自分の言動でしょっちゅう自分が苦い思いをしてきたもので。 自分の言葉に責任を持つための、おまじないでしょうね^^ 心がさらに空っぽになると、自分の思いとは違う言葉が出ることがあり、 それを聞きながら相手の状態や、自分の本心を知ったりすることもあるのですよね。 そのうちに、相手のエネルギーを淡々と受け止められるようにもなりだして…。 深い安らぎを得るようになってからは、その安らぎの中にいられるようになりました。 そういう体験や、長い間「人は鏡」と思って自分を省みることをし続けてきた体験を通し、 「人は鏡」を実感なのでありました。 同じ状況にいながらも人はそれぞれ感じ方が違うもの。 たとえば、Aさんを見たとき、夫と私では感じ方や受け止め方が違うわけで。 その感じ方こそが、「鏡」なんですよね。 「げっ」と思う場合、形は違えど自分の中にそんな感覚の部分があって、 それが嫌われて放置されていると思ってほぼ間違いないでしょうねぇ。 人のせいにしたり相手を批判したくなるのは、 自分の中のその部分が嫌いだったり、気づいてなかったりしていてね^^ 同時に、「ステキ」と思うところも自分の中にあるものなんですよね。 これは最近体験したのですけど、自分が直したくて変えた部分が再浮上。 あ~、自分ってこんなことにくよくよするキャラだったんだぁとか、 見下げる癖だなぁとか、自惚れやだよなぁとか、自意識過剰の姿とかまぁ出るは出るは。 過去の自分の思いを「今」再度、バーチャルした感じでした。リアルにね。笑 ほとんどの思いの根底は、自分への信頼のなさから生じたものでした。 昇華したものが今またなんで?昇華できてなかったのですか? と尋ねると、気づかされたんですよね。 「直そう」とした部分、それはその部分を否定したと同じだったんだって。(私の場合はです) 否定して嫌って、変えたんですねぇ。それはそれでよかったのですが…。 どんなものであれ、「否定」は否定。受け入れずに、“力”で直したのですよね。 だから、直そうとしない人に対してどこか厳しさがあったわけです。 その時点では「直す」という選択は正しくて、だから「今」があるのですけど…。 でも、力づくは不自然ということでしょうね。 否定や嫌悪を土台にして変えるのでなく、まずはその部分も受け止めてあげること。 そうすると、自然に変化していく流れに乗れるというわけです。 受容とは寛容。そして愛とは寛容。 自分を愛するとは、自分に寛容であること。 それは、人にも寛容になっていくということですね。 「直そう」と思って変えたところに今一度光が当たった感。 そして嫌った部分に、こころを込めて「ありがとう」と言いました。 「ありがとう。お疲れ様」というたびに自然に柔らかく包まれていく… それらがあってくれたから、「今」があるのですからね。 実に面白いです。人のこころの奥深さ。 それに気づけたのも、人が鏡になってくれたから^^ 人は鏡、自分も鏡。 出会う人に安らぎとリラックスとこころからの笑顔の鏡であれたらいいなぁ♪
by machikopao
| 2007-09-12 21:43
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