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2007年 08月 28日
母が検査をしてまもなく、結果が出る前のこと。
母と会っていたら、子宮が痛み出したのですね。 母のものだなぁ。ってふと思って。 母には痛みはないと言っていたのでホッ。 骨折あり、痛みありでは母にはちょっとしんどいものね。 母と会った帰り、歩きながらふと思ったんですね。 母のものを私が全部背負ってもいいよっ…とね。 その瞬間、またまた慈愛のエネルギーに包まれて、それはもう聖母の腕の中。 ありがとう、ありがとう。そんな風のささやきを感じたのです。 そのエネルギーに触れると、これはもう涙しかなくて。 そして、次の瞬間。 でも、私が全部身代わったら夫が可哀相だね。それに母には母の学びがあるのだしね。 せめて痛みを私が担当するね。そんな思いを風に乗せました。 それから毎日痛みと突っ張り感。 その痛みは、「今」そのものを感じる喜びにもなりながら。 そこに手を当てることで母にもそれが届くだろうと手を当ててたり。 そもそも、私には母の体内の美しさだけが映し出されるだけで、 私の中に病名というものはあまり意味を持っていないんですね。 なので、名前を聞いても「で?」といった感じのところもあるのです。 かえって奮起してしまうようで、今思えば自分の時も、父の時も奮起型でした。 父の時は、「覚悟してくだい」との医師のことばより父の命に信頼し、 「心臓の2割だけで動いている」の台詞に、2割で生きている父の命に感動し、 医師に、人を数字で決め付けても意味が無いんだよね。とこころで意見。 自分の時は、先生が優しさで言ってくださってであろう 「卵巣ひとつとっても、もうひとつありますから」という台詞に、 「ひとつなくなっても~~っ??なにそれ?」物扱いされている感覚を覚え、 「ぜったい、この身体私が守ってあげる!!」と 病院の紹介状を書きかけていた先生にストップをかけたのでした。と話はそれましたが…。 ただ、この痛みが何らかの浄化のサインになってくれていることは確か。 そして、ふと閃いたのです。この痛みが終わるとき、母の浄化は終わる。 ずっと背負う覚悟も持ったうえでのことでした。 検査結果を知った母が、 「もうここで本気で変わるよ」と自ら宣言したとき、私の痛みは消えたのです。 「本気」 人は「本気」になってはじめて変わるもの。本気は神気。 「本気」になってからの母から出る言葉のエネルギーは変わりました。 「葉室さんの本のお陰で本当にこころが穏やかなんだよね」 「身体もなんだか綺麗になってるって感じるんだ」と母。 本当に、その通り。 そして、最初から変容のプロセスにすぎないと思っていたので、 母の身体は触れても綺麗なイメージだけがあったのです。 人は、捨て身になると力が沸くようになっているように感じます。 沸く力は、強さであったり、優しさであったり、叱咤激励であったり、その時に必要な力。 捨て身…それは、我を捨てることと同じことであり、神の波動に共鳴すること。 そして、それが誰かのためだとしたらなおさらのこと。 他の命のために捨て身になれたら、それは無償の愛であり喜び。 そういえば、今日もおばが言っていましたっけ。 「友達とさっきも話してたんだよね。甥も姪もいい大人だけど、どうしようもなく愛しんだよ。 あのこたちのためなら、今でも命かけられるよ」ってね。 肉体的には外に出るのもままならないおばだけれど、 その言葉が真実であることを私は知っています。 命をかけるとは、心の中でできること。 そして、彼女が神仏宇宙からも絶大なる愛を感じ、人々の愛を感じ、自分の愛を感じ、 幸せと感謝だけの日々のそのわけもよくわかります。 そして、命かけて守ってくれる存在を感じられること。それは底力になっていくもの。 命かけて守ってくれる愛を感じられることはうんうんと幸せで喜び。 命かけて守ってあげたいと思える対象があることはうんとうんと幸せで溢れる無償の喜び。 守ってあげたいと思う力と、守られる力は同じ。今また、感じさせてもらいました。 静かなる安らぎにただ感謝です。
by machikopao
| 2007-08-28 20:12
| 天使のつぶやき
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