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2007年 07月 20日
玉石混淆、吉凶混合、塞翁が馬
人生にも例えられるかなぁとふと思いました。 何が玉で、何が石か。その境は実はなく。 右から見ればそれは玉、左から見ればそれは石。 真上から見ると「なぁんだそういうものか」とその姿が見えてくる。 そんな感覚を覚えています。 それを知ると、幸せの価値観は変わるのではないでしょかねぇ。 そういえば、エデンの園には善悪はなく、裸の姿に羞恥という概念はなかったのですよね。 イブが、善悪の木の実を食べたところから善悪が生まれたという。 玉ばかりに価値を置き、石を粗末にする傾向が大になったのは、 遡れば、実はイブがその実を食べてからかもしれませんね。 そして、その木を作ったのも、イブをそそのかす蛇を作ったのも大いなる存在で。 そこに宇宙の壮大なドラマのカラクリを感じたりするのですよね。) 我が家の大崩壊の時の前のこと。 「これまでご苦労様でございました。これから、お守り申し上げます」 そんな感覚が届けられ、「わ~、これからは苦しみから解放されるんだぁ」と有頂天。 その2ヵ月後だったのです…大崩壊が訪れたのは。 崩壊の前日にも、やはりメッセージは届けられ。 なのに、訪れたのは見事な闇の底。それはもう大爆発の闇の底。 でも、奥の奥ではワクワクしている感覚があって。 闇の中であればあるほど、届けられた光のメッセージ。 この人生最大の苦しみだと感じた出来事が、「新しい生」を与えてくれ、 それまで幾重にも重ねてきた苦しみを解放してくれ、 さらにずっと求めていた「神」に出会わせてくれたのでした。 苦しみのホメオパシー?毒を持って毒を制する? 同時に、幸せの価値観が大きく変わったのですね。 日常の営みがいかに奇跡であるか。 底の底の暗闇に、全てが宝に見えるという仕掛けがあったのでした。 玉ばかりを追い求めていた頃、幸せの実体がわからず幸せを追い求めてたもの。 でも、石の価値を見出した時から、幸せの正体が姿を現したように感じます。 そして、真上から見はじめて、ふと思います。 喜びすぎず、悲しみすぎず、全てはほどほどが私には気持ちよい。 ほどほど…それは、瞬間瞬間味わい出し切るということのよな。 そして、ありのまま…それは命の本質であり、豊かで幸せなこと。
by machikopao
| 2007-07-20 20:09
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